小細胞肺がんになった父

2016.7月57歳で小細胞肺がんと診断された父の経過〜仕事〜お金についてのリアルな話

小林麻央さんおつかれさまでした

麻央ちゃん遠い存在だけど勝手にすごく近く感じていた人。

お父さんと同時進行で応援してブログも見させてもらっていたし同じ病状が出てるときは頑張れ頑張れ、って願い。

お父さんの方が先だったぶん麻央ちゃんの一日一日が本当にすごいと思えた、一分一秒でも長く生きてほしいと願ってたけど…

家族と一緒にいつまでもいつまでも居たかったと思うと悔しい、病気が憎い。

病気はほんとに怖い。

神さまがいるならなんでこんなに素敵な人を連れて行くんだろうと思う。

 

麻央ちゃん良く頑張った、今は痛みも何もないとこにいるよね。

きっと眠っているように横になってるんだと思う。

海老蔵さんは強い人だな、一緒に居たい時に皆さんに向けて会見するなんて。

いいご夫婦だったんだろうな。

これからはずっとずっと側で見守っていく麻央ちゃん

 

心からご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

お父さんありがとね〜

最後の日記の数時間後父は眠るように亡くなりました。

4/25 14:30  

最初呼吸が止まったのに気づかなかったくらい日常の中

 

酸素の数値は朝から低めだったけど、昼から一気に下がっていった

 

でもどれだけ触っても声をかけても反応しなくても、また目を開ける気がして実感が全くなかった

 

ずっと目を開けなくて冷たくなっていってやっと受け止めれるようになった

 

お父さんとお別れしたくなくてまた目を開けてほしいって願った

どれだけ泣いても涙は出てくる

こんなに泣いても涙は出てくるんだなと思った。

 

悲しくて悲しくてふと思い出して自分にまだできたこととかあったはず。とまた泣く。

そんな毎日が続いててこれからどうなるのかわからないけどお父さんが恋しい。

早くまた会いたいなあ。

夢に出てきてくれたらいいのに。

全ての腫瘍が大きくなっている

肺の原発巣、リンパ、脳、CTで見えるものは1ヶ月も経たないのにかなり大きくなってた。

場所によっては太い血管を噛んでいるからここが破裂したら急な事も起こる。

 

お父さんは目が開いたまま寝るようになり目に膜が張ってる。見えにくそう。

 

今日は酸素83

 

血圧も低くなってきてる。

 

癌性髄膜炎

毎日毎日様子が変わる

良くなったように見えたりガクッと悪くなったり。

ペーストご飯を食べられるようになったかと思えば、飲み込む力がいきなり下がって食べられなくなる。

喋る力もなくなってきている、声が出ない?

 

痰の増量で吸引の回数も増える、最初されたときは抵抗していたのに今は声も出せない手も動かせない。されるがまま目に涙がたまっていく。

何もしてあげられんぶん伝えたいことをわかってあげたいのにそれすら難しくなっているのがしんどい。

でも一番しんどいのは父さん。

 

もともとの原発巣の肺は大きくなりつづけている、進行早い、リンパに行ったのも大きく成長してた、

髄液にのっていろんなところに転移している可能性もある。

 

いつどんな事が起こってもおかしくない状態。って。

 

寝続けの日から起きてばかりの日

意識レベルが下がってずっと寝て、目を開けましょうって言われても瞼が重くて開けられない状態になり病院から呼び出された。12日。

 

そこから持ち直して起き続ける日。

夜中もずっと何か見えるものに話しかけてる。

赤ちゃんのひとり遊びのよう。

脳転移からこういった症状が出てるんじゃないのか?ということ、痛み止めのせいで眠かったんじゃないようす、痛み止めやめても痛いとかも言わない。

 

片目の瞳孔は開きっぱなし。

 

麻薬の痛み止め

オキシコンチン オキノームなど使い始めて、すごく眠る。

 

とにかくずっと寝る。目を覚ましている時間がどんどん短くなっている。

 

昨日から呼びかけても目があかない、あけられない。

でも返事は頑張ってしてる。

看護師さんに聞いても痛みがなくなって眠れるようになっただけでしょうって。こんなに眠り続ける?

 

飲み込む力も弱くなってて、今日の朝から薬も飲み込めそうにないので出なくなってる。

朝、昼薬飲まずにいる。

でも痛みが出てるわけでもなく、まだ寝続けてる。

 

すごく悪い予感がするけど、医者も看護師さんたちは今は痛みが無くて逆にいいと思うって。

信じるしかない。

本人に聞いても返事ができない。

はい。しか言わない。